経営学ってなんやねん!‐ある 京大 MBA 修了者 の経営学講座‐

 私たちは数名のMBAホルダーが中心になって活動する団体です。時々、経営学のそもそも論に突っ込む時があります。 連絡先 E-mail:ffproject2014@yahoo.co.jp

ITが発達して、と言われて10年以上は経つでしょうが、ITの発達はなお止まるところを知らないように見えます。

同時に、人の「生き方」も多様になっています。決められた時刻・場所に出勤すること、服装を揃えること、当たり前だったことは次第に当たり前でなくなっていきます。

こうなってくると、「別に、ひとりで生きていけるんじゃね?」と思ってしまいます。億劫な人付き合いを離れ、必要なことだけ身につければ「ひとりで」生きていくことも可能です。結婚しないという風潮も、こんな個人主義の表れかもしれません。

でも、どんなに周辺技術が発達し、精神の変化が起こっても、人はひとりでは生きていけません。


なぜ人はひとりでは生きていけないのでしょうか。


小学校の道徳(という授業が今もあるのか定かではないですが)で習いそうな話ですね()。色んな視点から説明できると思いますが、経営学的に述べると以下のようになるでしょうか。


人間が生活していくだけの資源調達や生産サイクルは、一人で回すには大きすぎるため、複数人で担保・役割分担し合わねばならないから。


もちろんこれも、経営学のある立ち位置からみるとこう言える、というだけなのですが。

要は、現代で生きていくに満足な生活を送るためには、社会=多数の人間が関係しあう集団下で生活することが一番合理的であるから、皆無意識にでもその選択を行っているということです。

そして、その中では今なお人が直接触れ合って、無意味とも思える習慣を共有し、一種の息苦しさを感じながらでも一緒に居ないとなされない生産行為もあります。

これは浪花節ではなくて、経営学的にも実証可能なことです。

しかし一方で、ある思想のもとでは、人は社会における束縛を受けず、個人の自由主義的に生きていくことが許されるような考え方もあります。あるいは、フリーライダー問題のように、自分だけが社会に対するコミットをさぼっても恩恵が受けることも可能です。

このように、社会下での恩恵は受けつつも、そのぶん社会に払うコストはケチりたい、という思想は往々にしてあって、これも経営学(どちらかというと経済学寄りですが)によってアプローチすることが出来ます。


このような思想は誰もが持ちがちで、あるいは持つ人に悩まされることも多いでしょう。しかし、経営学はこのような個人と組織、個人と集団、個人と組織、個人と企業という問題にも多く関わっています。その紐解き方は、一様ではありません。



あなたはどう感じたでしょうか。その感じ方を、概念と照らし合わせて経営学に触れてみてください。 

人気ブログランキングへ

経営を語る際に避けて通れないのが組織の話です。多くの場合、経営主体とは企業を指しています。そして、その企業とは組織の1種です。ですから組織の話というのはある意味で企業活動のそもそも論に触れることになるので重要です。また、経営学はたくさんのフレームワークや理論を生み出してきましたが、そのどれもが結局のところ、組織がより良くなるための手段であり道具としての知識の塊です。その意味でも、組織の話は重要です。 


重要な話なのですから、その話の出発点として「組織の定義」を関係者で共有しておくことは重要です。それにも関わらず、「そもそも組織って何ですか?」という問いが企業の中で聞かれることもなければ、新入社員研修で教えることもないし、コンサルタントがわざわざ説明することもないでしょう。まるで組織の定義が説明不要の不文律として太古からあるかのようです。 


しかし、実際には企業の中で組織の定義が共有されていることは稀でしょう。なぜなら組織をどのように定義するかということ自体が既に経営学的な命題だからです。学者の間でも一致した共通の見解がないのだから、世間一般で意見を一致させることは非常に難しいのではないでしょうか。 


また、どう定義するかという共通見解がないことから様々な組織観が示されています。そしてそれらの組織観のどれもが組織の真実の一面を捉えていたりするのでさらに話はややこしくなります。こうなると、いったいどの組織観に従えばいいのか分からなくなります。 

この問題に対する解決の糸口を示してくれているのが僕達の京大の先輩でもある神戸大学大学院教授の金井壽宏です。彼は著書の中で組織という言葉が多様に使われていることを率直に認めたうえで10個の組織観を紹介しています。また、「実務界のひとと議論していても、組織という化け物のような言葉が、いったい何を指しているのかについて、すり合わせのないまま議論が空転します」と指摘し、議論の空転を避けるためにも組織観を整理することで個々人がどのような観点で組織について論じているかを明示できるようにするように勧めています 


ここでは10個の組織観にまで言及しませんが、組織という言葉を使う時の注意点として 


①組織という言葉を定義するのは難しい。
②組織という言葉は多様な意味で使われている。
③よって、組織という言葉の意味を整理することが必要。 


そうしないと、組織について話ができない。ひいては経営について語れないということになりかねない。ということを頭の片隅にでも置いておいて頂ければと思います。10個の組織観については著書をあたって頂くか、いつになるか分からないですが、このブログで紹介する日を待って頂ければと思います。

参考文献
ⅰ 金井壽宏『経営学入門シリーズ経営組織』日経文庫2003258 

人気ブログランキングへ

企業にしても個人事業主にしても、ビジネスをするからには何かの売買を含め取引をすることは避けられません。むしろ、取引こそがビジネスなのではないかと思うことがあります。ですから「取引とは何か」という本質的な問いは売買判断の基準構築に役立つでしょう。もちろん、ここでいう何かとはあらゆる財とサービスのことです。



それでは人はなぜ取引をする必要があるのでしょうか。その理由は次の2点だと僕たちは考えています。



  自分でしたくないから

  自分でできない(つくれない)から



まず、「自分でしたくない」というのは分かりやすいですね。自分でもできるけど、家事をしたくないから家事サービスを頼む。自分でもできるけど、自分でつくりたくないから惣菜を買うと言ったところでしょうか。他にもたくさんの例がでてきそうです。これらはとにかく自分がやりたくないから誰かにやってもらいたいという動機にもとづく取引です。すこし説明を端折りますが、やりたくないことにお金を払って誰かにやってもらうというのは、その誰かの「時間を売買する行為」と言っていいでしょう。



次に、「自分でできない(つくれない)から」はさらに細かく分類できます。



  時間がない

  能力がない

  資源(情報)にアクセスできない

  実は自分でもできるけど、自分よりも技術のある人に頼みたい



料理をする「時間がない」から惣菜を買う。料理をする「能力がない」から惣菜を買う。というのは分かりやすいですね。どちらの場合も自分でできないから誰かに依頼するしかありません。「資源(情報)にアクセスできない」というのは材料の調達ルートを持っていないとか、秘伝のレシピが手に入らないと言ったところでしょう。これもやはり、自分でできないから調達ルートを知っている誰か、秘伝のレシピを持っている誰かにやってもらえるように依頼するしかありません。「自分よりも技術のある人に頼みたい」というのは自分より早くできる誰か、自分より品質の良いものができる誰かに依頼するなどと言ったところです。「能力がない」の一種だと考えてもらってもいいかもしれません。



これらのうち③はそのままズバリ、純粋に誰かの時間を売買しています。④~⑥については「自分でできない(つくれない)」ことを誰かに依頼しているという点で、誰かの時間+αを売買していると言えるので、一見すると時間だけを売買しているとは言えない気がしますが、結局その誰かはその+αの部分を獲得するのに時間をかけていますし、自分が自力で獲得しようとしても時間がかかるわけですから、やはり④~⑥を理由にした取引も「誰かの時間を売買する行為」と言えます。



つまり、「自分でしたくない」にしても「自分でできない(つくれない)」にしても「(財・サービスの)取引とは誰かの“時間”を売買する行為である」と言ってしまってもいいでしょう。



ただ一つだけ補足しておきます。機械とコンピュータ制御の登場は財・サービスに介在する“誰か”の時間を著しく縮めることを可能にしました。そして、日々の技術革新と改善活動はどんどん誰かの介在する時間を縮めて続けています。財・サービスに誰かの時間がほとんど介在しなくなった時代の取引とはどういったものなのかを突き止めることは今後の経営学の課題の一つかもしれません。

人気ブログランキングへ

↑このページのトップヘ