経営学ってなんやねん!‐ある 京大 MBA 修了者 の経営学講座‐

 私たちは数名のMBAホルダーが中心になって活動する団体です。時々、経営学のそもそも論に突っ込む時があります。 連絡先 E-mail:ffproject2014@yahoo.co.jp

頑張ればうまくいくのか?―個人と集団、個人と環境―


日常で、何かを達成したい。今できないことをできるようになりたい。そう思うことは、大小も実現性も様々でも、当然ながら誰しもあるのでないでしょうか。


さて、何か成したい、達成したいと思うとき、それを最も左右するのは何なのでしょうか。

あまりに漠然とした問いかもしれませんが、多くの人はきっとこう答えるのだと思います。


「とりあえず、努力することである」


ごく普通にみえるこの意見の根底には、ある前提、というか思想とすら言えるものが隠されています。

・・・さて、今回問題にしたいのは、「頑張れば、夢は叶う」のか?ということです。

少し意味はズレますが、似たようなことが、経営学でも昔から取り上げられてきました。


どうすれば企業は成功できるか?経営学は初期からこの問いに対する答えを探してきました。そして、多くの支持を得るような答えを生むこともできました。

多くの支持を得た代表的な学者に「組織は戦略に従う」で有名なチャンドラーがいます。チャンドラーはおおまかに言うと企業がどのような戦略を採り、そしていかにその戦略に沿った組織体制を構築するかが重要だ、と説きました。なるほど、もっともらしいですね。またこの理論自体は多くの実証を得ており、妥当性も高いといえます。チャンドラーの言説をまとめるとこうです。


「企業は戦略―理想への道筋―に対して相応しい組織体制を採ることで成功を収めることができる」(もっと言うと、それさえすればいいんだ、くらいの勢いでこの説を推しました)


チャンドラーはまた、戦略はいくつかの類型化が可能で、そのパターンに適した組織体制というものも考えつきました。より実践的で解り易いタイプ分けをしたのです。

しかし、妥当にみえるこの意見に対し、チャンドラーはある重要なことを無視しているのではないか?という指摘を受けます。何でしょうか?


ディマジオとパウエルという人がいました。彼らは、ある企業の調査をしていく中で、あまりにも多くの企業が当時流行していた「事業部制」を採り入れ、かつ全く機能していないことに気付くのです。

事業部制というのは、多くの企業で成功例が得られた有力な組織体制のひとつです。チャンドラーの言説に従うと、この組織体制を敷いておきながら全く機能していないというのは不思議なことに思えます。

そしてディマジオとパウエルは、調査を進める中で、この事業部制導入の原因を突き止めます。

「あるコンサルティング会社に勧められるままに、事業部制を導入した」

このような回答が多く得られたのです。

ディマジオとパウエルは色々な意味で驚愕します。そして、気付くのです。

「もしかしたら、企業は有効な戦略がどうこうとかの前に、主体的な意思決定すらしていないのではないか?」

そうして生まれたのが「新制度派組織理論」と呼ばれるものです。要約すると、


「企業が成功するかどうかは環境に左右されている。外部環境に因ってでしか、成功的な戦略も組織体制も決定できない」


というものです。


さて、言いたいこととは。


果たして、成功への「ワン・ベスト・ウェイ」は存在するでしょうか?

個体が頑張りさえすれば、成功は保証されるでしょうか。

いっぽうで、環境の支配力はすさまじいものがあります。

でも、個体はただ環境に支配されるものなのでしょうか?環境ってなんでしょうか?


・・・さて、多くの問いを投げかけましたが、

「成功にむけての個人(個体)と環境/集団」

は、現在の経営学での主要なトピックになっています。

今後もそういったことに触れていこうと思います。

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先日、僕の知り合いのとある大手企業の管理職の方が出張旅費を節約するために新幹線を使わずに在来線で名古屋から大阪まで移動しておられました。昨今の厳しい経営環境の中、管理職として率先して会社のために経費節減に努めておられる姿に僕はいたく感心しました。このような殊勝な心がけの人間に管理職を任せたいものだと思われる経営者の方もおられることでしょう。


しかし、


この行動は本当に会社のためになっているのでしょうか?


MBAホルダーである僕たちは別の考え方をします。


ここで用いるのが「機会費用」という考え方です。僕の手元にある有斐閣という出版社の経済辞典(第3刷)によると機会費用とは「ある生産要素をある特定の用途に利用するについて、それを別の用途に利用したならば得られたであろう最大の貨幣額のこと」と書かれています。流石にこれだと分かりにくいので具体例で説明したいと思います。


それでは名古屋―大阪間を平均的な年収のサラリーマンが移動すると想定してみましょう。


  新幹線:片道 6,760円(のぞみ自由席)

  在来線:片道 3,350


新幹線よりも在来線の切符代が3,410円安いので一見するとこのサラリーマンは会社に貢献しているように見えます。


しかし、ここに時間を考慮するとどうなるでしょうか?


  新幹線:片道 約80

  在来線:片道 約200


120分もの差があります。


つまり、3,410円の節約のために120分をかけたと言うことです。


もし、このサラリーマンが120分で3,410円以上稼げないのであればこれでいいでしょう。しかし、120分で3,410円以上稼ぐ力がある場合、移動に時間を使われるのはもったいないと思いませんか?


国税庁の民間給与実態統計調査によると、ここ数年のサラリーマンの平均年収は400万円程度です。仮にこのサラリーマンが1週間の労働時間が40時間で、1ヶ月あたり20日間働いているとしましょう。この場合、120分は約4,160円に相当します。


当然、経営者はこのサラリーマンが120分に4,160円以上稼ぐ力があるからこの給与で雇っていますよね?ということは3,410円の節約のために120分もかけてしまっては本来稼げたはずの4,160円との差額である750円の損ということになります。だったら新幹線で早く移動してもらってもっと良い仕事をしてもらいましょう。平均年収のサラリーマンですらこの結果なのだから管理職は尚更です。


つまり今回の例で言えば、機会費用の考え方は同じ時間を使うならどの選択肢が最も合理的なのかを考えるきっかけを与えてくれるのです。積極的に経営に活かすべき考え方だと思いませんか?少なくとも僕は常に意識して使うようにしています。


但し、今回の例の場合、日頃から給料に相応しい仕事ができていない方や、在来線での移動の間に仕事をする方が圧倒的にはかどるという方がいれば話は変わってきますが、それはまた別の話ということで(笑)


参考
有斐閣 経済辞典 
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641002098
国税庁ホームページ

https://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/minkan/top.htm





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皆さんこんにちは。今日は、考えるということについて書きます。経営学について書いて来ていますが、今日は一般的に考えるということを考えてから、その上で経営学って何ということについて考えたいと思います。

 

よく、「自分で考えろ」とか「ちゃんと考えているのか」とか子供にも大人にも言いますし、使いますよね。ただ、そこで「じゃあ考えるっていのは、どういうことなのか教えてください」と言われたらすごく困りませんか。「え、あー、うん、自分で判断することだよ」とか「そんなこともわからんのか」と言うかもしれません。そのときあなたは考えるのかもしれません。

 

今気づいたかもしれません。こういう日常にさり気なく使っている言葉は、実は説明するとかなり難しいのです。専門用語は、意味のブレが少なくなるように定義をしています。一方日常用語は、テキトーに使っている場合がほとんどですよね。さらにこれは、哲学的にも答えがひとつに決まりません。さらに結論がでる性質のものでもないと思います。

 

ただ考えろといっても、物事が解決しなかったことがあると思います。そういうときには、「考えろ」ではなく他の言葉を使うのが良いのかもしれません。そういうときに、他の言葉を使うと良いでしょう。一つに答えが決まらないのであれば、ある側面だけ取り出して来て、分析すると良いと思います。

 

人間とその他の動物(例えばゴキブリ)を比べてみましょう。人間は、考えることができる。そして動物は、考えることができないと仮定します。これには、異論があると思いますが、この前提でいってみます。

 

ゴキブリは、夜行性で夜いきなりでてきますね。出てこなければいいものを残りカスとか水などを探して出てきます。人間がいるのだから、出てこなければいいものをと思いますが、出てきてしますうのです。あそこに人間がいるからここで静かにしていようとは考えないのですね。そしてすぐ出てきて、食物を追っかけて、人間に追い掛け回されて、ゴキジェットをかけられて死ぬ。つまり、あまりとお~い未来のことを想定して活動できないのです。一方人間は、どうでしょうか。やろうと思えば、とても長いスパンで物事をみることができます。(もしかしたら、宇宙人から見たら、人間も短いスパンで物事をみているのかもしれませんが)実際に10年後には俺が社長だとか、10年後にはうちの会社の売上は1000億円になっているという風に現状ではありえないような想像をすることが、長い時間のスパンでできます。

 

つまり、人間は長いスパンのことを想像でき、かつ現状ではありえないことをたくさん像できる。これが考えるということの重要な側面だと思います。

 

優秀な経営者を見ていると、そのような傾向が強いのではないでしょうか。つまり、10年後、20年後の自分の姿を思い描いて、今日明日の課題を設定する。有名なイチロー選手は、小学校の頃に自分の夢を語っていたそうですが、それから、20年ほどたって実際に結果が出ているわけです。他にも、スティーブ・ジョブズ、孫正義など優秀な経営者の伝記を読んでいただければ、まず遠い未来の自分を描いて現実に行動しています。人間の考えるという能力をフルに使っているわけです。

 

遠い未来の目標・理想を創る。それでそこに向かっていく。その際には、目的地までいく道のりがあります。この毎日の道程も未来のものです。向かう際には、作戦が必要でしょう。何がどのくらい必要なのか、資源は何が必要なのか。時間は、どんな仲間が必要なのか、仲間と仲違いしないようにするには、など目標達成を旅だと仮定するならば、たくさんの未来の不確実性があります。

 

これらの不確実性について「考える」わけですが、自分で想像したことがすべて正しいことは、ほとんどありません。途中まで進んでいったときに、あのときああやればよかったなどということは、日常生活でもあるでしょう。それと同じで、その反省を大量に残してくれたのが経営学なのです。そもそも、自分の目標の決め方に関して理論にしたものもありますし、戦略論のように目標を決めたらどう先に進んでいくかについて議論したものもあります。リーダーシップ、マネジメントなど途中の細かい道程について議論したものもあります。

自分の想像する範囲を拡大していくためにも、過去の偉人達の軌跡を追ってみませんか。

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